まちこしの人間観察BLOG

まちこしの日々の対人記録。

母とわたし(父と弟はまたこんどね)

 

f:id:amakane:20180719174150j:plain

みなさん、こんにちはー。
前回ボリュームのある投稿をして疲れた自分。いまだに力の入れ方と抜き方が慣れない。


今日会った友人に、
『あっ、何か始めると丁寧にやんなきゃってハードルあげるタイプだね』
と言われた。そのとおりー!
これでもリハビリ中にましになった方です。でも前は、チャレンジさえできなかった。

さて、今回はサクッとすまします。サクッと。できるかな、、、。

ちなみにこの古めかしい写真はうちの母とわたしです。
ふふ、、、、ママ、直毛だわぁ、、、。
ちなみにまだ許可とってません(恐怖)。


今回のテーマは「父と母とわたし」



今回の話は女性のみなさんには少なからず共感していただけるお話じゃないかなぁ。
(以下、ブログ本文の、ですます調はかたくなるのでやめます)

今日友人にこのブログの事について話をしていたら、彼女も同じく30代に入って自分の在り方について考えるようになったと言っていた。
わたしが20代苦しんできた事の一つに両親の思うような大人になれない自分への罪悪感、みたいなものがあった。
本人たちは気づいていないかもしれないが、仕事や家庭についてのそれぞれ理想の価値観や姿を暗に見せられてきたような気がする。

うちの母は、短大を出て少しお勤めをした後、わたしの父と結婚をした。
それからは小さな仕事をしつつも基本的には専業主婦。


f:id:amakane:20180719183847j:plain

両親と(まだ弟は存在してません)






母親と娘は同性なので、お互い話しやすかったり、コミュニケーションを取りやすい関係だけど、それゆえか母親は過干渉になったり、過去の自分を娘に投影して話をしたりする事が多い。
逆に、父親と息子は言葉でコミュニケーションがとりずらいので言語以外で関係を作る事(スポーツや趣味)が多いのではないだろうか。

今になって思うと、全く無視されるよりは過干渉で心配されるくらいの方がよかったのかもしれない。

でも20代の前半まで実家住まいで毎日毎日、母親に質問攻めにされるのは本当に堪えた。10代から母の質問や話に最初はちゃんと返答していたのが徐々に面倒臭くなり、
何か違うと思ってもそれ以上話すのが面倒で、ただ話をうんうん聞いて自分の部屋に直行するといった事も多かった。

思春期がおわって、もう自分一人ですべて考えたい、行動したいと思う親離れの時期と親の子離れの時期は重ならない。特に母は、自分の人生と娘の人生をどうしても重ねて考えるので、わたしがこの年の頃はもう結婚していた、とか、わたしの時はこうだった、と考えがちである。

女性は嫉妬深い生き物とよく言われるが、実の娘もその対象になる。
嫉妬というのはどこか共通項がある対象にしか持たないものだと思う。
同じ女、同じ人間、同じ日本人なのに、、、といった感じだ。
一緒に暮らして、同じ空気をすっていればなおさらに。


血の繋がった娘でも、生まれた時代も場所も過ごした環境も全く違う。
家族という近い距離にいるからこそ、あたりまえに価値観が共有できている、
共通認識を持っているという慢心がディスコミュニケーションを生むのだと思う。
わたし自身も 家族に過信していたところがあって、言葉足らずで気持ちを伝える
努力をしてこなかったかもなぁと思っている。

結局そういうのが溜まって30代はじめのリハビリ時に実は一度、わたしは大噴火を
起こした。
親にガーーーーっと一方通行にバグったかのように今まで我慢していた事が噴出した。
親は、、、キョトンという感じで、
今の旦那さんに「ねぇ、あの子どうしたの?」
と聞いてくる始末。でも生きてる親の前で聞いてもらっただけで私はすっきりした。


なんて、まるでうちの家族が仲悪いみたいに言っているけど、そんな事はなく、
家族のイベントの時には集まってご飯食べたり、LINEのグループを作って近況を連絡しあったりしている。


ちなみに最近、うちの父は家の近くのお寺に毎年夏に現れるたぬきの家族にはまっている。これ↓

f:id:amakane:20180719185924p:plain

実家の近くの寺に毎年出没する

ちなみにわたしは毎年、自宅の前に出没する常連のカエルをいつも楽しみにしている。
これ↓(カエル嫌いな人はここでフリーズプリーズ)

f:id:amakane:20180719190959j:plain


生き物Loveな家族です(G以外)


たぬきの親子はまだ今年は出没していないので出てくるのが楽しみ。
さて、やっぱり長くなった、、、。

次回こそ、もっと読みやすく。

 

ではではー。

 

まちこし