まちこしの人間観察BLOG

まちこしの日々の対人記録。

ポーランド・ドイツ編①『旅の初日からアウシュビッツ。。。』

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ミュンヘンでのトランジット





こんにちはー。まちこしです。
さて、つい先週末に帰ってきたばかりのポーランド・ドイツの旅。

初日は羽田発ミュンヘントランジットでクルクフに到着したのは夜中の12時ごろ。
今回の旅はベルリンがメインだったはずなんですがポーランドも近いので一足伸ばしてポーランドも観光することに。

ポーランド滞在はクラクフ3日、ワルシャワ2日。
初日はホテルについてすぐに寝て、次の日は早朝からアウシュビッツ博物館(旧アウシュビッツ強制収容所の建物がそのまま残っている)の日帰りツアーを申し込んでおりました。この正式名称はユネスコでは「ナチスドイツによるアウシュビッツ・ビルケナウ ユダヤ人絶滅強制収容所」です。「絶滅」という響きが鉛のような重さを感じさせました。

アウシュビッツ」と聞くといかにもドイツの街のように聞こえますが、もともとポーランドにあった街の名前をドイツ語発音してつけた名前なので響きがドイツっぽいんです。本当の街の名前は「Oświęcim」オフェンチィム。


ポーランドは地理的な理由で長い間、他国による分割、統合を繰り返してきた国。でも一時はヨーロッパ全土の3分の1を統治するほどの覇権をもっていた時期もありました。国が平和だった時期には国民の10パーセントがユダヤ人でした。

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ドイツ十字軍に勝利したのを記念して作られたグランヴァルト戦争の碑



イスラエルにはヤド・ヴァシェムというホロコーストの記念館がありますが、そこには犠牲者追悼の他に「正義の異邦人」といってユダヤ人迫害の中でユダヤ人をかくまったり、助けた人々を表彰し名前を刻んだ碑があるのだそう。

ヤド・ヴァシェム - Wikipedia


そのほとんどがポーランド人で、日本人は唯一、杉浦千畝の名前が刻まれています。
ナチス占領下のポーランドではユダヤ人をかくまうと家族総員死刑、食料をめぐんだりするだけでも処刑されました。

ガイドさんのドリクさんのおばあちゃんはレジスタンスに隠れて食料を渡していたのが見つかり、政治犯としてアウシュビッツで処刑されたのだと語りはじめました。

それを聞いていた横にいたドライバーさんはぼそっと、

「自分の近所に住んでいたおばあさんは食料を夜に投げ入れたのが見つかり子供と一緒に蹴飛ばされたが注意されただけでどうにか逃れた。いつもうちの近くに公園に長袖のシャツでびっこをひいてくるおじさんは腕にダビデの星の焼印があることを自分に見せ、アウシュビッツで人体実験をされていたのだと教えてくれた。」


「僕のおばあちゃんが、、」という言葉の重みが忘れられなかった。
テレビや歴史の教科書に出てくる歴史上の悲惨な出来事が急に最近起きた身内の不幸のように身近に感じた。ここでは今を生きる「私の、僕の、」から戦争が語られる。私のおばあちゃんにも昔の話をききたいと思ったのでした。

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別の博物館でみた反ユダヤのポスター


ポーランドには少しこみいって話をするとこんな話がたくさん出てくるのだとドリクさんは話してくれました。
ドイツで有名な製薬会社のシーメンスやバイエルなど、戦争の時期にたくさんのデータを残しそれが今の医薬品にも活かされていると思うと複雑な気持ちになりました。インターネットやGPSなど戦争を期に発明、発展されたものは他にもたくさんあるが、戦争があると科学が発展するというのがなんとも皮肉。どうかこれからは平和のために科学を役立ててほしい。

 

そんなリアルなポーランドの話をクラクフからアウシュビッツ博物館に向かう車内で
たくさん聞きました。移動時間は2時間程度だけど、私はガイドさんに会った時にはできるかぎりいろんな質問をするようにしています。どんな些細な質問でもそこからどんな話が聞けるかわからないし、何より自分の知っていた世界がせまかったんだなと実感できます。

 

あかん、、、、行きの2時間だけでこの量、、、、。
さて次はいよいよアウシュビッツ博物館に到着でございます。
博物館唯一人の日本人ガイドの中谷さんが登場します。


このペースで一体いつおわるのだろうか、、わたしのブログ旅路、、、。


まちこし