まちこしの人間観察BLOG

まちこしの日々の対人記録。

自分にもってないものを他人で埋めようとする人

まちこしです。

今日はとあるイベント?会合?に出てきました。
会合自体にもいろいろ思うことがあったのですが、それはイベントあるあるなので
また今度にします。

そのイベントの後半で遭遇した状況に、自分が考えすぎなのかなと思ったのですがどこか違和感を捨て切れなかったのでここで書きます。


顔を出した団体の発起人の中にアイヌ協会の会長をしている浦上さんという長老(エカシ)という方がいらしていました。民族衣装も着ておられて、まさしく長老という感じでした。長い髭を蓄えていて、落ち着いていて笑顔も朗らかな方で長老としての威厳やおおらかさも感じました。

ある程度人数の集まる会合、セミナー、講座にありがちな情景といえば情景なのですが、私がいつも見ていてモヤモヤするのは全然ファンでもなければよく知ってもいないのに、当日の、なんとなくすごい人なんでしょ?この人?みたいなノリでやたらと一緒に写真とか撮りたがる人。。。。

今回の場合はこの長老さんがすごく人気で、、、たぶんビジュアル的にも迫力があったせいでもあるのですが、あんまり話したことも会ったこともない人に突然話しかけられて戸惑いつつもニコニコして写真をとっていましたが、私にはどうしても上野動物園のパンダのような扱いをされているように見えてちょっといい気分はしませんでした。私の勝手な印象なのでご本人がどう思ってたかはわかりませんが、、、。


単にお話を聞いていて感動したからそのノリで嬉しくて撮ったと言われたら別にそれはそれでいい気もするのですが、なんかこんな気分、別の場所で味わったことあるなぁと思い返すと、
それは先日トランスジェンダーの友人が、その属性をSNSで開示しているとダイレクトメッセージでお友達になりたいという旨で、実際会ってみて仲良くなると単純に「トランスジェンダー」という珍しい属性の友人がほしかったというだけのものだった、というものです。

同じように私の場合は美術大学に入学したての頃に他大のコミュニティに遊びに行った時にそこの大学の女の子が寄ってきて、それからいろんな場所に遊びに誘われ、その都度他の子に名前よりも先に「この子◯◯大学でデザイン勉強してるの。」という紹介をされることに違和感を覚えたことが蘇りました。

それ以外の属性でもこういう事はたくさんあるんじゃないでしょうか。
人がやらないような事や珍しい活動、専門性の高い職業、なかなか経験できない事をしている人、とかく色々あるかと思いますが、
いずれのケースも人を中身ではなくて表面の箱で評価しているもので、だいたいそういう箱目的で近づいてきた人とは関係は長続きしませんよね。

今日の場合は、単純にもともとその長老さんのファンの方もいたのかもしれないし、私自身も大好きなミュージシャンのライブの後に一緒に記念撮影などはしたことはあります。でも何かそういうのとはちょっと違うような感覚があって、さらにいうと、この撮影した写真をFBやSNSで投稿してその人のステータスや肩書きを借りて自分を盛るような文章を書いてる人も見かけたことがあり、私の違和感や嫌悪感はそういうことを目撃したせいもある気がします。

テーマにある「自分にもってないものを他人で埋めようとする人」は言い過ぎかもしれませんが、気づかないうちにそういう事をしてしまっている事もあるだろうなという自戒もこめています。形通りの記念写真ですが、動機がどこにあるかで全く変わるなと思いますし、そういう事は相手にはすぐに伝わってしまうものなのだろうなと思います。

私も今だに自信がなくなると誰かや何かに頼りたくなったりしている自分に気づいて
いい年して心底自分は甘いなと思うこともあるし、そうやって迷惑をかけた友人もいます。でも、できる限りそうなりたくないのでそういう時こそ一人でやれるとこまでやってみようと葛藤します。

自分にないものを他人で埋めようというのは実は気づけばみんな、パートナーや恋人にそういった部分を求めているのかもしれません。
でも私の今日の違和感というのはgive&takeじゃなくて、一方的なtakeだった事によるような気がします。かつ、アイヌの長老さんという、どこか一線を超えても許されるのではないかという気持ちを引き出されそうな対象だった事がより私の違和感、嫌悪感を助長させたのでしょう。

私は人間の正義感や倫理観なんて正直、全然信じていません。
時代、環境、状況でころっと変わってしまうと思っています。
アウシュビッツを見学した時になおさらそう思いました。
そんな変わりやすい心を人間は持っているという事を忘れずにいたいです。

 

まちこし